井上千鶴の言葉

井上千鶴のことば

写真

博道の写真整理とフィルムをデジタル化する作業、アーカイブ化を始めて6年以上が経ちました。いよいよ大詰めに来た感じです。奈良の4×5サイズ中心のフィルムロッカーから始まり、京都、日本全国、特集物、出版した本、そして、新聞社時代の35㎜のフィルム、大阪芸大で教鞭をとっていた頃のゼミ生との撮影旅行で訪れた時のフィルム、博道を慕ってくれた人達との東南アジアやパリの写真等を見続けました。その内  5分の1 か 10分の1 位をスキャンニングして、21,000点にもなりました。まだもう少し、全体の 4分の1 位が残っているのですが、その中で、大学講義用に作成したスライドが出てきました。私は全く今迄に見た事のない物です。タイトルは「写真の歴史」です。古代、文字を持つ前の人達が洞窟の壁に描いた図が2点、そこから始まります。信仰の対象としての遺恨やキリストやマリアを崇める図、宗教画が続き、その後、王族、貴族が力を持つようになると、もっぱら、彼らの肖像画が多く描かれます。ルネッサンス以降は私達の知る絵が出てくるのですが、写真が出来るまでは、いかに写実的に描くかという事に多くの画家が努力したようです。(もちろんそればかりではなく、自分らしさを表現する事も重要視したのでしょうが)1820年頃には、パリに写真を撮る人が現われ、その時代の有名人の肖像写真を撮っています。日本にも江戸時代末期には、写真の技術がもたらされ、坂本龍馬や徳川慶喜、遣欧使節団の人達、福沢諭吉の若い頃の写真が今に残っています。このように見ていると写真とは、いつの時代にも、その時代を切り取り、後の人達に何を伝えるのかに大きな役割を果たす物であると思い至ります。そんな事を考えながら、先週、博道の後輩の二人が、フジフォトサロンで2人展を開いているのを見に行きました。今回も、二人のライフワーク 「アジアの人と自然 風景」を被写体に、溢れかえる色をA3サイズのプリントに閉じ込め、各々15点の生命力溢れるアジアの雰囲気に浸りながら、写真とは何なのか、これからの写真とは、どう表現されて行くのかと考えました。博道がこの世に居たら何と言ったのでしょうか。




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