美術館と美術
近代特有の美術館という施設は、美術品を本来あるべき用途から切り離して陳列するという役割を持つ場所です。
しかし、遡ってみると洋の東西を問わず、それらの美術品は元来
権力者が自らの権威を誇示する道具として美を競い合ったものでもあったのです。
西洋の宮殿や教会の建築とそこに飾られる絵画や彫刻、家具にステンドグラス等々、調度品のあらゆるものに至るまでその時代の粋を凝らしました。
また、日本でも時の権力者は同様のことを行ったのです。
このような時代は庶民はそのようなものにふれる機会はなかったのでしょうか。
近代になって市民社会が確立したときには、美しいものを見たい、身近に感じたいという欲求と共に、
それを提供する文化国家という意識が美術館、博物館というところに形を変えていきました。
同時に職業としての画家や美術家、あるいは画商などが多く現れ一般化したのでしょう。
しかし一方で、日本の庶民の生活の美意識とはどんなものだったのでしょうか。
戦国時代に来日した宣教師は日本人の能力の高さに驚き
また、明治初頭に日本を訪れた外国人の大半が日本人の暮らしが質素ながらも清潔で美しい衣装に満ちていると感嘆したといいます。
このふたつの美のあり方をどのように私たちは考えればよいのでしょうか。
私は先日新幹線に乗って夕日を見ていました。
近江平野に入ると以前と異なり大きな単位に広げられた田園に水が入り、少し大味な感じの風景になっているとはいえ、それはそれは日本の美しさそのものでした。
美術品と日常のびをどのように日々の生活の中に取り入れ楽しむかがその人の心、人生を豊かにする鍵になるのではないのでしょうか。
自然と人と美。この関係こそが情報にあふれる今の時代、本当に大切だと思い至ります。